新笠戸ドックの前身である「笠戸船渠(かさどせんきょ)」は、大正7年の創業。時代の波にもまれながら、笠戸島で歴史を刻んできました。
年表
1918 | 新笠戸ドックの前身「笠戸島船渠 株式会社」設立。 |
1920 | 笠戸島船渠、操業開始。 |
1922 | 新造船「笠戸丸(貨物船)」竣工。 |
1968 | 3号ドック(修繕船ドック)竣工。 |
1970 | 下松市本土と笠戸島を結ぶ「笠戸大橋」が完成。離島が解消される。 |
1972 | 5号ドック(新造船ドック)および、周辺の新造船船殻工場竣工。 |
1988 | 笠戸船渠株式会社の商権・工場施設を引き継ぎ、「株式会社 新笠戸ドック」として営業開始。 |
2005 | 今治造船グループの一員となる。 |
2019 | 5号ドック(新造船ドック)拡張工事完工。 |
笠戸島船渠の創業
明治30年下松に山陽本線(当時柳井線)が開通し、大正6年久原房之助氏により、現日立製作所笠戸工場の前身たる久原鉄工株式会社が設立せられ、下松が近代工業地帯として脚光を浴びるにいたり (中略) 嶋谷徳三郎(前嶋谷汽船株式会社社長)は、大阪の小野造船鉄工所主小野虎助(萩市出身)と相はかり、造船所建設の計画を進めたが、ときの末武南村村長植杉佐武郎らの有志はこれをきき、笠戸島周辺の地勢笠戸湾の立地条件が、造船所建設の最適地たる天然の条件を具備することを力説し、両名もこの説をいれて来島し、つぶさに実地を踏査して、江の浦の海浜を造船所の建設地として定めた。
(中略)
大正7年9月山口県知事より、公有水面埋立の許可がおりたので、同年11月 (中略) 直ちに着工した。
(中略)
船渠の築造もその緒についたので、嶋谷、小野両名は会社設立の準備を進め、大正7年12月26日資本金100万円をもって、船舶造修業を主たる目的とする笠戸島船渠株式会社を設立し、小野虎助が社長に就任した。
笠戸船渠株式会社『創業40年を顧みて』(1959)
5号ドック竣工の記録
1971年7月に着工した8万トン建造ドックと関連付帯工事が完了し、1972年11月7日、ドック開きが盛大に行われました。その記録が、笠戸船渠社内報(No.184, 1972年11月号)に残されています。